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電話

今日、説明会の帰り、友人とバスに乗ってたときのこと、
携帯がブルブル。
バス内だから出れないなぁ~とか考えながら携帯の画面を見ると、
当たり前のことですが、相手先の番号が出てました。

だけど
いつもとちょっと違うのは
その番号が0120から始まっていたこと。

これってフリーダイヤルとかいうやつじゃないですかね?

フリーダイヤルの番号から電話がかかってくるなんて
初めてのことだったから、
何かうれしかったです。

フリーダイヤルから電話がかかってくるなんてことは
結構あるもんなんですかね?

関連で。

最近、携帯電話の調子が悪い。

二つ折りの物をつかっているんですが、
閉じると3回に1回は電源が切れるんですよ。

これって故障ですかね?
それとも寿命?

電池が切れるのも早くなってきたし、
そろそろ買い替え時ですかね。

でも、先立つものがありません。

今週末には東京に行かなくちゃいけないし、
来月頭には大阪に行かないといけないし、

バイトで貯めた預金がどんどん無くなっていきます。

誰も同情してくれないので
自分で自分を励ましたいと思います。

俺、頑張れ!

日本の文化

「日本は恥を意識する文化だ。」
なんてことを聞いたことがあります。
何をしてはいけないのか、何をするべきなのか、
それを考えるとき、日本では、
「周りの人から見られて、恥ずかしくないように」って言うのが
基準になるそうなんですね。
良く言えば周りに気を使っている。
悪く言えば見栄を張ることに力を入れている。ってことになるのかな?

恥を掻かないように行動をする。
それ自体は決して悪くはないはず。
しかし、ただそれだけに固執するのはどうかと。

たとえば服装。
きれいな服をきちんと、TPOに合わせて着ればそれはそれで素晴らしいことです。
しかし、日本の場合、
この服はダサいとか、センスがないとか、去年の流行だしとか(全部同じ意味?)、
色々なことを気にしてしまいます。
ま、早い話が、流行に敏感すぎるんですよね。

日本に居住している、外国人に
「日本人の嫌なところは?」
と聞いてみると、
「流行に敏感すぎること。」
という、まさにそのことを指摘する回答が結構な数になるとか・・・。

それが顕著に現れているのが、学生。
日本の学生は、他の国の学生に比べ、かなり服装に力を入れている(と思う)。
また、持っているものも収入に比べ、高価なものが多い。
学校の授業をさぼってまでバイトをしたお金で、
買うのは衣類や装飾品。
僕の知人には、遅刻をしてでも、自分が着る服装に納得するまで、
学校に来ないなんて奴もいます。

ま、それもいいんです。
誰しも人からは美しく、かっこよく見られたいものですから。
そして、個人の問題ですから。

問題なのは、この傾向が「国」にでていること。

日本は多くの国に援助金を出しています。
ODAとか言うやつですよ。
国連への出費は常に上位。

もちろん、いいことではあるんです。
けれど、
ちょっと、自分の国のことを疎かにしているんじゃないか?

社会保障問題や、教育制度、
さらには国家機関の裏金等の問題。
あと、最近では、難民受け入れ問題とか・・・。

自分の国の問題を解決できないのに
または、日本で暮らしている人々に対しては厳しいのに、
外国に対していい顔をしようとする。

それは、見栄をはっている言ってもいいのではないかと。

国連の常任理事国になるのは素晴らしいことなのかもしれない。
しかし、
そうなって何がしたいんですかね。
もしかして、肩書きが欲しいだけ?
そんな気もするのは僕だけでしょうか?

先進国と言われているのなら、
世界のリーダーと言われたいのなら、
内と外、その両方に目を向けるべきではないかな?

政治家の先生方は色々と頑張っているんでしょうけどね。

2005-02-18

人間は頭のいい生物です。
その証拠に、様々なことを想像する。
そして人間は、その考えを現実にする、具現化するのに充分な程の行動力を兼ね備えています。

現に今、自分の周りにあるものを見渡してみれば、
その量と便利さに圧倒されます。

オーディオ機器、テレビに電話、パソコンに電子レンジ・・・。
その無表情な我々人間の友は、様々な方法で便利さを差し出してくれる。
ボタン一つで好きな音楽が楽しめ、
必要な情報が集められ、
さらには、遠く離れた人とも会話という方法を使って時間を共有することができます。

最初はおっかなびっくりに触れていた人も、
その便利さに感心し、
使う頻度を増していき、
次第にそれに魅了されていく。
そして気がつけば、そのもの達に囲まれて、
その空間に安心感を覚え、
他との交流を放棄してしまう人がいるとか。
また、今はそれができる世の中。

そこでちょっと考えて。

あなたの表情は生きてますか?
無表情なもの達ばかりと接していたせいで、
自分まで無表情になってませんか?

喜怒哀楽の表情をちゃんと示さないと
人間関係うまくいきませんよ。

ということで、1日1回、顔の体操をしましょう。

「なんでこんなバカみたいなこと書いてるんだ」ですって?

それはもちろん、小顔になるためです。

テスト終了と同時にダイエット&筋トレをすると宣言し、
実行はしてはいるものの、
一向に成果が上がらず。

むしゃくしゃして酒でも飲んでたら(器が小さい)
事態悪化!

こりゃ、禁煙に続き、禁酒もしないとダメかしら?

企業説明会

毎日、1つはどこぞの企業の説明会に出ることにしている。

人事の方が熱心に語る度に、
その企業に心惹かれていく。

説明会の会場から家への道のりで、
いつもその企業ので頭がいっぱいになる。

もっと知りたい、実際に働いてみたい。

それはすなわち、自分が無知だったということ。

知らないこと、わからなかったことを
教えられたり、発見したりすると、
それが無性に魅力的に見えてくる。

何もそれは企業に限ってのことではない。

今、とある番組で、きりたんぽの作り方を初めて見た。

無性に食べたくて仕方が無い。

タイトル

今までの記事に
タイトルつけました。

教育指導要領

学習指導要領を見直すらしい。
すなわち、「ゆとり教育」の敗北というやつですかね。
「世界トップレベルの学力の回復」が目的だそうです。

そもそも、この「ゆとり教育」なるものは、
子供たちの「生きる力」を育むためのものだったそうな。
おそらく、
いままでのような、テストで計れる「学力」の向上ではなく、
人間としての可能性を成長させることが「ゆとり教育」の
目的だったのでしょう。

だとしたら、今回の「ゆとり教育」というもの
その方針は素晴らしいものでした。

ですが、そこにはいろいろと問題が・・・。

教育というものにおいて、
もっとも大切なのは指導者だと僕は考えています。
より多くの経験を積んだ者が、
経験の乏しい者を導いていく。
また、
知識のある者が、
それの無い者に対して、自分の知識を与える。
それこそが教育ではないのかと。

しかし、日本の場合、指導者が、この「ゆとり教育」をするにあたって適当ではなかった。

なにも、日本の教員がダメって事ではないんです。

ただ、日本の教員は、今のような「ゆとり教育」を受けたことがないのがダメなんです。

いわゆる「詰め込み教育」を受けてきた人たちが、
いきなり「ゆとり教育」なるものをしろと言われても困っちゃうはずです。
教わったことのないものを教えることほど難しいことは無いですからね。

教員の方々は、自分が受けてきた教育とは違った教育をしろと言われ、
何をしていいのかわからず、うまくやっていけなかったわけですよ。

どうしたら子供たちの自主性を高められるか、
何をしたら児童の「生きる力」というやつを育てられるか、
それは、試行錯誤の連続だったはず。

また、「ゆとり教育」の導入に伴い、
教員からの、算数・国語の文法という「知識」を伝達する時間が失われ、
しかも、教えてよい事柄の範囲まで決められて・・・。

結果として、テストで計れる「学力」の数値が下がるのは目に見えていたことだったはずです。

そこへきて、今回の方針見直しです。

ちょっと、いいかげんすぎませんかね、文部科学省さん。

一度に二つのことを望むことは不可能ですよ。
二兎追う者は、一兎も得ずってね。

日本の某首相がおっしゃっていたような、
「痛みを伴う・・・」ではありませんが、
「ゆとり教育」を進めるなら、学力の低下は多少、
目をつむらなければならなかったのかもしれません。

特に、指導者自身が指導方法を模索して最中では、
何もかもが上手くいくなんてことは無理ですからね。

「生きる力」という内なる力と、テストで測れる「学力」という外なる力、
それを、いきなり同時に成長させることは、今の日本では無理な話だったのではないでしょうか。

今回の指導要領の変更、ちょっと、早すぎでは?

「ゆとり教育」をしたいなら、
先ずは指導者の教育が必要なのでは?

そんなことを考えるkanz-elでした。

出過ぎたことを言ってすみません。

ワイシャツ

最近、就活のため、スーツを着ることが多いんですけど、
ちょっと、困ったことが。

それは、僕の体格に関しての問題です。
太ったからきついとかじゃないですよ。

スーツの下に着るワイシャツ。
これって、首の太さと、手の長さでサイズを決めるんですが、
僕って、手が長いらしいんです。

そのため、僕の体格にあったワイシャツって、
取り寄せないと無いんですって。

しかも、値段も普通のやつより少し高くなるらしい。

なんで、なんで?
服って、SとLで値段が変わることなんて無いんじゃないの?

つーか、あと2,3cm袖の長いシャツ作れよ!

指は長いとよく言われますが、
手も長いなんて思いませんでした。

昔から体格がよくて、
小学生の時とか
合う制服が無くて困ったことはあったんですが、
最近は体格の欧米化進んできたためか、そんなこと無かったんです。

身長が高いとは言っても、
標準より若干高めと言うほどで止まってしまいましたから。

そこにきて、今度は手の長さで困るとは。
世話のかかる体ですな~。

せめて、足が長くて困ってみたかったです。

手紙

今日、セミナーから帰ってくると
2通の封書が。

差出人は
ひとつは某企業、
もうひとつは両親。

はて、
いつもはなにかあったら電話してくるのに、
今日に限ってなぜ手紙?

早速空けてみる。
こういう突然の封書って、なぜか鋏で開けたくなる。
何か重要なことが書かれているような気がして。
(いつもは手でビリビリに破くんですよ。)

中には一枚の紙と、ティッシュの包み。

なんと就職成就のお守りだった。
紙には何やら書いてましたが、
おやじよ~、達筆すぎて読めんぞ。
おそらく、風邪などひくなといった文面。

いや~、ありがたいことです。
(お守りを包んでいたのがティッシュてのが貧乏を物語ってますね。)

このお守りが効いたのか、
もうひとつの封書には、1次選考合格という報せが。
よかった、よかった。

でも、俺この企業の1次選考いつ受けたっけかな。
この前受けたとことは違うし。

まいっか。

企業選択

先日、友人宅にテスト勉強をしに行ったときのこと。
インターホンを鳴らすと見慣れた顔でお出迎えしてくれたのだが、
その顔がすんごい険悪。

なんでも就職先のことでご両親と喧嘩してるんだと。
ご両親は、
せっかくいい大学に入ったんだから1流企業に就職して欲しいらしい。
しかし、友人は
企業の規模に関係なくその社風で決めたいらしい。

「就活に学歴なんて関係ない。
 俺はやりたいことをしたいんや。
 俺の周りにはすっげー奴がいっぱいいて、
 そいつらが内定出ないって嘆いてる時に、
 まだ学歴でなんとかなるとか考えとる。
 時代遅れもええとこ。」

って、僕に怒鳴らないで下さい。

ま、僕からすれば
学歴って、あって損するもんでもないんじゃない?
つ~のが正直な気持ち。

でも、そんだけ覇気がある奴は、やっぱ1流企業向きじゃない?


関連で。


親に反抗する時期のことを反抗期って言いますよね。
僕の場合は生まれたときから反抗期だったそうです。
どういうことかって、めっちゃ難産だったそうな。

以来、ことあるごとに反抗してきたそうですが
最近では反抗することにも飽きてきました。

今はもっぱら「右の耳から左の耳に」というやつです。

しっかし、親の子への独占欲というのはすごいですね。
「お前の人生は俺たちのものだ」
なんて、他人に言ったら人権侵害で訴えられかねませんよ。

僕も最初に言われたときはショックでしたが、
今では言われ慣れてしまったのか、ほぼ無視してます。

また、今の親は子供に手を出すことをあまりしないと言われてますが、
家は1日1回は父か母に叩かれてました、しかもグーで。
それで泣くとまた殴られて、
それがうるさいと今度は兄に殴られて・・・。

おかげで歯の生え変わりは人より早かったですね。
僕の精神的・肉体的タフさもこのおかげかとも思います。

意味の無い暴力はいけませんが、しつけ・教育のための「おしおき」
は多少必要かな。
叩かれたって、怒鳴られたって、子は健やかに育つもんです。
そこに愛情があれば・・・。

僕も、今まで罪を犯すことなくやってこれましたから。

でも、手を出さないで居れるのなら、それにこしたことはありませんがね。

ES細胞

ES細胞って知ってますか?
胚性肝細胞というらしいです。
これは特殊な機能をもった細胞で、
分裂増殖によって、人間の様々な部分になる機能を持っているそうです。

通常の人間の細胞は、皮膚なら皮膚の、肝臓なら肝臓の機能しか持たず、
分裂増殖によってもそれ以外の機能を持つことはありません。
だから、疾患がある臓器や手術等で失われた臓器は他者から譲り受け
それを移植するしかないんです。

しかし、ES細胞を用いれば、その特殊な機能によって、
自在に各部分の臓器を作り出せるようになる可能性があり、
臓器移植でしか完治しない病で、
ドナーが見つからないような患者でも
病の克服が可能になるかもしれないということ。

また、体中の筋組織が次第に萎縮して、
最後には死をもたらしてしまう病(病名は忘れてしまいました)
に対しても、筋組織の再生ができる可能性があるとか。

素晴らしい技術であることは確か。

しかし、ES細胞の研究には重大な問題があります。

それは倫理・道徳問題です。

ES細胞は受精卵から取り出されます。
その際、受精した胚(初期の赤ちゃん)を殺してしまうということ。
それが許されるべき行為なのかという問題があるんです。

また、再生医療はそれに伴って、クローン問題も含んでいます。

これは倫理・道徳は尚のこと、宗教関係の問題も絡んでいます。

胚に手を加えることから、
「ヒト」という種そのものの誕生に対して、
その神聖性を冒涜するものだ。
との批判をかっている。

このような批判の中でも、
韓国とイギリスはES細胞の研究の先進国だそうで、
韓国では、先日、このES細胞に関する研究が部分的にではあるが、
政府から認められたとのこと。

その影響で、
この情報に生きる希望を見出す者と、
激しい憤怒の念を抱く者とで
賛否両論が飛び交っているそうです。

もし、この研究がさらに進んで、
再生医療で使用できるほどになれば、
一つの命によって、一つの命が助かる。
つまり、命の選択ができるようになるということ。

この命の選択という問題、ES細胞の研究以外にもあります。
それは脳死認定を受けた人からの臓器移植です。

今、日本では、15歳以下の子供が脳死認定を受けた場合、
臓器を提供できるかどうかが国会で問題となってるとか。
今までは、本人の意思がなければ提供されなかったんですが、
今後、家族等の承認があれば、本人の意思を問わず、
臓器を提供できるようになろうとしています。
(あくまでも、15歳以下の子供に対してです。)

今、苦しんでいる命を助けるべきなのか、
自我を持たない、1つの細胞の命を守るのか。

完治する可能性が高い者の命を助けるのか、
そうでないものにも、可能性を持たせ、その者の命を守るのか。

その判断が困難であることには間違いありません。
生命に関する問題が簡単に解決されては困りますし。
しかし、技術が進歩すれば、
必ず何らかの形で結論を出さねばならないときが来るはず、
「ヒト」が自らで作り出した問題ですから。
そして今、それについて思い悩むのが
「ヒト」の義務なのかもしれません。

ちなみに、日本でももちろんES細胞の研究は行われていますが、
研究者と政府関係者との間で、熱の入り方が違っているらしく、
国会等でこの研究の賛否を争うことは無いに等しいとか。

また、アメリカではES細胞の研究には否定的らしい。
僕的には少し意外だな、とも思ったんですが、
大統領があの人だと思えば納得できますね。