教育指導要領 | 様々。

教育指導要領

学習指導要領を見直すらしい。
すなわち、「ゆとり教育」の敗北というやつですかね。
「世界トップレベルの学力の回復」が目的だそうです。

そもそも、この「ゆとり教育」なるものは、
子供たちの「生きる力」を育むためのものだったそうな。
おそらく、
いままでのような、テストで計れる「学力」の向上ではなく、
人間としての可能性を成長させることが「ゆとり教育」の
目的だったのでしょう。

だとしたら、今回の「ゆとり教育」というもの
その方針は素晴らしいものでした。

ですが、そこにはいろいろと問題が・・・。

教育というものにおいて、
もっとも大切なのは指導者だと僕は考えています。
より多くの経験を積んだ者が、
経験の乏しい者を導いていく。
また、
知識のある者が、
それの無い者に対して、自分の知識を与える。
それこそが教育ではないのかと。

しかし、日本の場合、指導者が、この「ゆとり教育」をするにあたって適当ではなかった。

なにも、日本の教員がダメって事ではないんです。

ただ、日本の教員は、今のような「ゆとり教育」を受けたことがないのがダメなんです。

いわゆる「詰め込み教育」を受けてきた人たちが、
いきなり「ゆとり教育」なるものをしろと言われても困っちゃうはずです。
教わったことのないものを教えることほど難しいことは無いですからね。

教員の方々は、自分が受けてきた教育とは違った教育をしろと言われ、
何をしていいのかわからず、うまくやっていけなかったわけですよ。

どうしたら子供たちの自主性を高められるか、
何をしたら児童の「生きる力」というやつを育てられるか、
それは、試行錯誤の連続だったはず。

また、「ゆとり教育」の導入に伴い、
教員からの、算数・国語の文法という「知識」を伝達する時間が失われ、
しかも、教えてよい事柄の範囲まで決められて・・・。

結果として、テストで計れる「学力」の数値が下がるのは目に見えていたことだったはずです。

そこへきて、今回の方針見直しです。

ちょっと、いいかげんすぎませんかね、文部科学省さん。

一度に二つのことを望むことは不可能ですよ。
二兎追う者は、一兎も得ずってね。

日本の某首相がおっしゃっていたような、
「痛みを伴う・・・」ではありませんが、
「ゆとり教育」を進めるなら、学力の低下は多少、
目をつむらなければならなかったのかもしれません。

特に、指導者自身が指導方法を模索して最中では、
何もかもが上手くいくなんてことは無理ですからね。

「生きる力」という内なる力と、テストで測れる「学力」という外なる力、
それを、いきなり同時に成長させることは、今の日本では無理な話だったのではないでしょうか。

今回の指導要領の変更、ちょっと、早すぎでは?

「ゆとり教育」をしたいなら、
先ずは指導者の教育が必要なのでは?

そんなことを考えるkanz-elでした。

出過ぎたことを言ってすみません。